1 七波羅探題 ★ :2021/05/16(日) 08:32:42.78
かつて大学などの入学試験はペーパー試験一辺倒で、テストにさえ合格すれば希望の学校に入ることができました。ところが近年は人物重視ということで、面接や小論文などを課すところが増え、いわゆるコミュニケーション能力(コミュ力)が強く問われるようになっています。
企業の採用は以前からコミュ力が必要などと言われてきましたが、最近はさらにその傾向が顕著になっているようです。
コミュ力重視になっているのは、視野の広い人材を獲得することが目的ですが、ペーパー試験の比率を下げることは格差の拡大につながるとの指摘も出ています。一部の家庭ではコミュ力を身につけさせるため、子どもの頃からお金をかけて多くの体験をさせており、これができない子どもとの間に格差が生じるという話ですが、この問題についてはどう考えればよいのでしょうか。
学校や就職の試験において、ペーパー試験以外の比率を高めることそのものについては、多くの人が納得しているのではないかと思います。中にはコミュ力を重視すると基礎学力が落ちると批判する人もいるようですが、絶対的な合格ラインを設定しておけばこの問題は回避できます。
例えば、ペーパーテストで85点以上を合格とし、あとはペーパー以外の項目で評価するという選抜方式と、ペーパーテストだけで決定するという選抜方式であれば、おそらく前者の方が優秀な人材を採用できるでしょう。
85点以上であれば一定の学力は証明されているわけですから、それ以外の才能を多角的に評価した方がよいに決まっています。ペーパー試験だけで決めてしまうと、上から100点、99点、98点と1点刻みで並んでしまい、もしかすると90点の人は不合格になってしまうかもしれません。確かに90点の人と99点の人を比較すれば、点数は99点の方が上ですが、90点の人が他にも多彩な才能を持っていた場合、逸材を逃してしまう結果となります。
しかしながら、多角的な選抜の方がよい人材を選抜できる、という話は「評価する側の能力が高ければ」という前提条件が付きます。評価する側が凡庸な人材だった場合、ペーパー試験以外の項目を正しく評価できなくなってしまいます。コミュ力を重視すると、お金をかけた子どもや学生ほど有利になるというのは、そうした状況下(採用する側に能力がない)では、十分にあり得ることでしょう。
いくらお金をかけてイベントを体験したり、海外生活を体験したり、あるいはボランティア活動に取り組んだところで、それを自分自身の言葉で、しかも採用する側の論理で説明できなければ、コミュ力でも何でもありませんが、凡庸な人はそれを能力と勘違いしてしまいます。
筆者が就職活動をしていた時代は、バブル崩壊直後で、当時もやはりコミュ力重視が叫ばれていました。書店には就職活動のマニュアル本が並んでおり、実際、企業の面接に行くと、多くの学生が判で押したように就職マニュアル本に書いてあること(サークル活動を通じてリーダーシップを学んだとか、スポーツを通じて協調性を学んだといったような話)をまくし立てていました。
「こんな(同じような)話ばかりして効果があるのか?」と筆者は常々、疑問に思っていましたが、実際、そのような単純アピールで合格を勝ち取る人がいたわけですから、すべては採用する側の能力次第ということなのでしょう。
結局のところ多角的な評価というのは、試験を受ける側の問題であると同時に、試験を行う側の問題でもあるわけです。金太郎飴のような人を高く評価する学校や会社は、所詮、その程度の組織ですから、テストを受ける側もドライに選択するという姿勢が必要となります。
評価する側が凡庸だった場合、家庭環境が良くない人が不利になるのはその通りかもしれませんが、その程度の組織にどれほどの魅力があるのかは疑問なところです。
仮に家庭環境が悪くても、それを自覚して、客観視する能力さえあれば、そうした家庭環境で育ったことを自身のストーリーにすることができるはずであり、能力のある人ならしっかり評価してくれることでしょう。
最大の問題は、あまりにも家庭環境が劣悪で、まともに勉強したり、自身を客観視できるような状況に置かれていない子どもたちです。しかしながら、この問題は試験における評価項目の是非というよりも、社会保障制度や教育制度の問題ですから、これをもってペーパー試験のみにすべきとの根拠にするのは、少々論点がズレているように思います。
(以下リンク先にて)
ミモレ5.15
https://mi-mollet.com/articles/-/29478
>>1
本当に、コミュ力を見てるならいいのだけど
面接や論文を重視と言いながら、表に出せない理由で合否に繋げてたり……?
>>2
面接論文は縁故で100点になるからな
>>1
面接は悪くない。面接試験は本来学力筆記試験を補うために行うべきもので
面接ではボランティアとかクラブ活動なんかの話をするよりも
学力を口頭形式で診るべきだと思う
予備校や参考書で教えられた公式を暗記した学力ではなく、問題と解決を自分で導き出し、時には解なしという結論づける能力も必要
それは試験を課す側の能力も問われる
>>81
面接員に教養がないから無理
>>88
それなんだよなあ、結局は
>>88
正解
どこ見て採用してるのかと
小一時間…
どうせ勉強だけしかできないやつは、就職試験で落ちるやん
会社ではコミュニケーションをただの馴れ合いと勘違いしてるやつばかり
さまざまな体験が、とは言うけど(記者自身はそれのみ評価に否定ではあるが)、そんな体験なんてお金持ちじゃなきゃ出来ない!差別だ!てのもおかしいだろ。
子供の頃から、町内会のお手伝いでもさせておけよ。
そこからが先ず人の繋がりとかだろ?
貧富さ云々よりも、親の不精が全てだよ、こんなのは。
>>8
だから、貧乏なのは結果なんだから、何も不都合でないよ。
そんなことができる玉なら、少なくとも文房具すら買えない極貧にまでには至らないから。
>すべては採用する側の能力次第
しょうもない結論が出ているじゃないかwww
>>15
これで答え出てる
結局数字で判断するのが妥当
こみゅ力重視は中身のない奴を増やすだけだろな
可視化できる資格を取らないとね
変な奴も少し入れないと
コピペ人間ばかりじゃおもんない
企業の営業職をコミュ力重視にするのは理解できるが
大学入試をコミュ力重視にするなんてバカらしいわな
そういう採用方針を採るのは、まともな学生が集まらない底辺私大くらいでええよ
>>32
今どき研究職とかでもコミュニケーション能力は必要だから。
昭和時代は髪ボサボサの変人が研究職にこもるとかも通用したけど。
>>34
めんどくさいね
そういうの役割分担で解決出来ないのかな
>>42
役割とかでなく、今どき研究職は映画製作のようなチームプレイだから。
ペーパー重視にしたほうがええわ
もしいれるなら思考の深さをはかる試験を入れるかどうか、深く考察できる癖のあるやつは能力異常に伸びるから
コミュなんて必要ないもんではかるなよ
結局新卒採用なんて博打でしかない
50年前、独立行政法人の就職の面接で、
「趣味は何ですか」と聞かれ、
「田んぼの畦道や森林を散歩することです」と答えたら、
哲学青年で、おおらかな個我と思われたのか、一発合格であった。
古き良き時代であったのかも。
しかし、キャリア官僚の娘、弁護士になった娘に聞くと、
お父さん、「今の時代はグローバル化で、自我と個我が問われる時代よ」、
と言われた。
>>66
そりゃ50年前なんて大卒自体が稀少だったから
コミュ力と才能は比例しない
人の面倒を見たことがあるヤツなら分かるだろ
コミュ力って代名詞連発するあれか?
やはり最低限知識あっての
コミュ力だよなあw
>>69
ってより両輪。
いちいち対立させるからこじれるだけ。
今の路線でいい
テストだけで入って来ちゃった
テストだけしか出来ない奴らは使い物にならなくて困っている
だから方針を変えたわけで
コミュ力って言うと
また吉本芸人みたいな
喋りだけの奴が勢いづくから
総合力とかもう少し別の言い方は
無いものかねえ
実際社会に出れば思い知る
コミュ力マジ大切
何で二者択一になっちゃうのかなあ
両方優れてる人材を育成できればいうことないのに
口ばかり達者な嘘つき量産してどうすんの?
どんな人間にも事実をしっかり報告できて
怖い人にも弱い人にも等しく接することができて
分からないことがあったら聞けて
失敗したら次に生かして
何かしてもらったら感謝をして
困った人がいたら助けてあげて
そういった基本的な事ができる人間が
教員や上司といった、目上の人間にいないから歪む
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