知りタイムズ

「学校・教育関係」を中心とした、2chでの気になる記事、面白いと感じた記事を扱うまとめブログです。まとめながら自分も色々なことを知ることができたらと思っています。

    タグ:卑弥呼



    1 樽悶 ★ :2025/04/26(土) 23:57:00.65
    瀧音能之(駒澤大学名誉教授)

    邪馬台国はどこにあったのか。瀧音能之(監修)『最新考古学が解き明かすヤマト建国の真相』(宝島社新書)より、一部を紹介する――。

    (省略)

    ■伊都国の記述に見る九州説の矛盾

     第1章では邪馬台国九州説について再検証し、北部九州を中心とした地方政権「倭国連合」と、畿内の「倭王権」が並立していた可能性を示した。この場合、いくつかの疑問が出てくる。畿内の王権に対して、北部九州は魏と独自の外交を展開し、倭国連合の王が「親魏倭王」の称号を得たことになる。これは畿内の王権に対して、決定的とまではいわないまでも敵対行為にあたる。ところが、卑弥呼政権があった3世紀はじめから中頃までの間に、畿内と北部九州との間に対立は見られず、むしろ協力的な関係性を築いている。そして、九州で副葬品に用いられていた鏡が畿内に導入され、それまでの銅鐸祭祀が終焉を迎えている。

     九州説をとれば、『魏志』倭人伝の記述と考古学的な見地にも矛盾が生ずる。2世紀の北部九州をリードしたのは、奴国と伊都国だった。『魏志』倭人伝ではこの伊都国についての記述が多くある。伊都国には代々王がいたが、女王国(卑弥呼政権)に服属しているとある。さらに、伊都国には一大率が置かれ、諸国を検察させて「刺史(しし)」のようだと記している。

    ■「環濠集落ネットワーク」が意味するもの

     当時の北部九州で、伊都国が服属するクニがあるとすれば、遺跡の集中度と遺物の質の高さから、博多湾地域の勢力となるが、ここには奴国があった。2世紀には北部九州の各遺跡の副葬品に格差が見られるようになり、伊都国と奴国を上回る遺跡群は見つかっていないため、邪馬台国の所在地は九州以外の地に求めなければならない。また中国における刺史とは、前漢時代から置かれた州の監察を行う地方官だった。

     北部九州の中心地だった伊都国の王が眠る平原遺跡からは銅鏡40枚をはじめ、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類、鉄刀などが発見されたが、この平原遺跡は卑弥呼政権よりも前の2世紀の遺跡である。

     では吉野ヶ里遺跡をはじめとする筑紫平野の環濠集落ネットワークは何を意味するのか。筑紫平野は濃尾平野に匹敵する約1200平方キロの面積を誇り、現在も稲作が盛んなエリアである。ここから、外交と政治の伊都国、青銅器製作などの工業の奴国、農業生産の筑紫平野という北部九州連合の姿が見えてくる。本書では以降、邪馬台国畿内説をとって論を進める。

    ■卑弥呼が「邪馬台国の女王」という記述はない

     卑弥呼を紹介する枕詞としてよく使われるのが、「邪馬台国の女王」だ。卑弥呼は大和(邪馬台国)を治める王であり、倭国乱を経て、各地方勢力を服属させる盟主となったとするのが一般的な見方だろう。ところが、『魏志』倭人伝には、卑弥呼が「邪馬台国の女王」であるという記述は1つもない。

     『魏志』倭人伝に登場する卑弥呼に関連するワードの記述数を見てみよう。「倭王」5カ所、「倭女王」3カ所、「女王」5カ所、「女王国」5カ所、「倭国」3カ所、「邪馬台国」1カ所である。このうち、「邪馬台国」と「女王」が同一の文脈で使われる部分はない。

     卑弥呼が「邪馬台国の女王」とされるのは、邪馬台国が「女王の都とするところ」とあるからだ。しかし、これはあくまでも卑弥呼の宮殿の場所が邪馬台国にあることを示しているに過ぎない。つまり、卑弥呼は実効支配する国を持たない倭国王だった可能性がある。

    ■邪馬台国の首長は卑弥呼のほかにいた

     『魏志』倭人伝には、各クニの紹介で、「長官は◯◯」「副官は△△」という形で紹介されており、例えば、奴国ならば長官に兕馬觚(しまこ)、副官に卑奴母離(ひなもり)が置かれた。これは邪馬台国でも例外ではなく、長官に伊支馬(いこま)、次官以下は、弥馬升(みます)、弥馬獲支(みまき)、奴佳鞮(なかと)が置かれた(以降、官名はカタカナ表記とする)。邪馬台国にはほかのクニと同様に長官がおり、このイコマが邪馬台国のトップということになる。

     『魏志』倭人伝には、伊都国が「女王国に服属する」と書かれているが、「邪馬台国に服属する」とは書かれていない。両者は使い分けられており、卑弥呼を頂点に29のクニが服属しているわけではなく、あくまでも女王国=卑弥呼政権に服属するという意味である。卑弥呼は29のクニの盟主であり、特定のクニ(邪馬台国)の女王ではなかったのである。本書では倭国乱後の共立王体制を「邪馬台国政権」ではなく「卑弥呼政権」としているのはこのためだ。

    4/25(金) 18:17配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/8e01abdc3660cbeb9be25add69cf06bd5acd1076

    【【歴史】「卑弥呼は邪馬台国の女王」はウソである…最新研究で明らかになった「近畿説vs九州説」論争の有力説】の続きを読む



    1 昆虫図鑑 ★ :2023/11/04(土) 16:35:26.48
    中国の歴史書「魏志倭人伝」(3世紀末)には、邪馬台国の女王・卑弥呼の名前が記されている。憲政史家の倉山満さんは「歴史の授業では『中国の歴史書が事実』と刷り込まれるが、実際は不正確な記述が多い。『魏志倭人伝』を聖典の如くありがたがる必要はない」という――。

     ※本稿は、倉山満『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

    ■「中国の歴史書に書かれてあることが事実」なのか

     仁徳天皇を教科書で教えないなど、けしからん。

     仁徳天皇といえば世界最大の古墳を造ったと私などの世代では習ったものですが、今は誰のお墓か分からんという理由で、「大仙古墳」とのみ記されます。三十代で塾講師を始めた時、「なんじゃこれは? 仁徳天皇陵は、どこに行った?」と絶句したのを思い出します。

     こういう「科学」を名乗れば何をやっても許されると信じている連中を、私は「素朴実証主義者」と呼んでおちょくっていました。「素朴」と書いて「クソ」と読みます。

     高校の日本史教科書は、「地球に原始人が出てきて、外国には文明があり、日本は縄文時代の後に弥生時代があって、ムラからクニに大きくなる過程で、王様が中華皇帝に使いを出して……」と始めます。

     確実な事実だけを取り出そうとしている気なのでしょうが、物語(ストーリー)が無いので、何を言っているかわかりません。歴史(ヒストリー)は物語なのですから、「何を基準に事実を描くか」が無く、思い付きで事実を羅列しても何もわかりません。

     こんな教科書で習っていたら、「中国の歴史書に書かれてあることが事実」と刷り込まれるのは確かでしょうが。

    ■「魏志倭人伝」は単なる参考資料

     その中国の歴史書で有名なのが、邪馬台国の女王・卑弥呼が出てくる「魏志倭人伝」です。その「魏志倭人伝」自体が卑弥呼から五十年後に書かれた、近代史家なら参考資料にもしないような、五次資料くらいの代物なのですが。

     しかし、それしか残っていないなら、使うしかない。

     実は『日本書紀』は誠実に取り組んでいます。しかも、「魏志倭人伝」の引用を、よりによって「神功皇后紀」にぶっ込んでいます。「あっちの国では、こういうふうに記録されているんだけど……」という戸惑い炸裂の紹介の仕方です。

     『日本書紀』の、神功皇后三十九年、四十年、四十三年の記事を、ご紹介しましょう。

    (略)

    ■正史・日本書紀には卑弥呼も、邪馬台国も書かれていない

     これが、『日本書紀』で触れられている「魏志倭人伝」のすべてです。

     神功皇后の統治の年数をあちらの年代に合わせて計算して「三十九」「四十」「四十三」としていますが、「○○天皇は百歳まで生きた」なんてのを史実と認めない限り、どう計算しても神功皇后と卑弥呼は年代が合いません。

     身も蓋も無いことを言うと、ヤマト王権とは何の関係も無い北九州の族長が魏に「私が倭の王様です」と名乗って、向こうが真に受けて信じた、とすれば筋は通ってしまうのですが。

     これ、何の根拠もない妄想でもなく、足利幕府と持明院統の朝廷に楯突いて九州を占拠していた後醍醐天皇の皇子である懐良親王が明に使いを送って、「私こそ日本の支配者だ」とかナントカ嘘八百億を並べたら、マヌケにも皇帝も政府も信じたという、明確な史実が残っているのです。

     ちなみに、明の国書の宛所は「良懐」です。西暦一三六九年にもなってこんなことをやっているのが中華皇帝、自分たちの歴史はともかく、外国の歴史を真面目に記述する気があるとは思えません。

    (略)

     別に『日本書紀』と中国の史書、どちらかが百パーセント信用できて、もう一方を無視して良いなどとは言っていません。

     本当の事は「わからない」に向き合う態度が必要なのではないか、と言っているだけです。これは日本古代史だけではなく、すべての歴史学者のあるべき態度でしょうし、歴史学以外のいろんなことでも大事な心構えだと思っています。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/8ce12d79a9f8bb3dd6bc9b9a5b660df19c68c888?page=1

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